宇治市木幡に宇治陵(うじりょう、うじのみささぎ)と呼ばれる陵墓群があるのをご存じでしょうか。
陵墓群というだけあって、地域一体のあちらこちらに大小様々な御陵が点在しています。
宇治陵(うじりょう[1]、うじのみささぎ)は、京都府宇治市にある古墳群と、藤原氏とその関係者の陵墓群である。地蔵山および御蔵山に散在する古墳群を総称したもの。[2]wikipediaより
地蔵山及びその北側浄妙寺山の南北約1.8キロ、東西0.9キロ、総面積89,332平方メートルに点在する大小320もの陵墓群である。明治10年に宮内庁によって調査され17陵3墓を木幡陵と定められたが、後に宇治陵とし1号から37号までの番号が付けられた。[3][4]古墳時代の5-6世紀の円墳・前方後円墳があるとともに、元慶年間(877-885)から長寛2年(1164)の藤原冬嗣・基経・時平・道長・頼通などと、藤原家から入内した中宮などの女性の埋葬地とされている。[5][6]wikipediaより
このような立派な御陵さんもあれば、下の写真のように、児童公園とくっついて存在する小さなところもあります
元々は、陵墓群のあったのどかな地に住宅が開発されていき、今では住宅街の中に大小の御陵が同居しているように見えます。地元の人達は、大きな御陵のある前の通りを、御陵道(ごりょうみち)と呼んでいたり、正式な地名ではありませんが、町内会の名称に「御陵」が使われていたりします。御陵そのものが、地域の暮らしの一部になっているようです。
写真にあるような光景も、地元の人達にはごく普通のものですが、他の地域から来られると驚かれる方もあります。
子供たちが大声で遊ぶ公園のすぐ隣に、千何百年も昔の皇族が眠っておられるというのは、少し不思議な感じがするものです。この地域に暮らす人達のなんでもない日常が、実は時を超えて高貴な方々に見守られているのかもと考えると、なんともロマンを感じます。
参考資料:wikipedia「宇治陵」より